《The Cypress Pillar(真木柱)》 《Moku and Chujo and the others sighed and lay down》 … and whispered to one another about the pity of it all. The lady herself, apparently quite composed, was leaning against an armrest. Suddenly she stood up, swept the cover from a large censer, stepped behind her husband, and poured the contents over his head. There had been no time to restrain her. The women were stunned. The powdery ashes bit into his eyes and nostrils. Blinded, he tried to brush them away, but found them so clinging and stubborn that he had to throw off even his underrobes. If she had not had the excuse of her derangement he would have marched from her presence and vowed never to return.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』 Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
自筆「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。塗籠本/「伊勢物語」/池田亀鑑解説/古文学秘籍複製会編/昭和9年/古文学秘籍複製会発行/複製。
原文は「源氏物語・真木柱の巻」として美しく描かれている
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。有正味齋試帖詩注 木刻本 呉錫麟 検索:清朝 木版画 筒子頁 線装本 白棉紙套印 唐本漢籍 古籍善本 国子監 玉扣紙 支那 牋紙宣紙 聚珍版 殿版。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。泉花堂三蝶『諸鳥飼伝百千鳥』寛政11年序 塩屋喜助刊 江戸時代和本 飼い鳥の餌の製法や病気治療法など鳥の飼育全般を解説した博物学書。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。古版 愚問賢注。現在の今上天皇と系譜がつながっている。嘉永五年八月尾花沢紫家青隣寺旅中寫本 新庄藩前侍医佐々玄達老人。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。『三帖和讃並正信偈』浄土和讃 高僧和讃 正信念佛偈 正像末和讃 4帖 その他2冊 レトロ 古本 版摺 親鸞 浄土真宗 嘉永元年。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。大東亜戦争 海軍作戦写真記録。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。●郷土資料●『改正絵入 南都名所記』全1冊 嘉永5年刊 絵図屋庄八 奈良●古書 和本 江戸時代。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。傳、藤原定家卿小倉色紙 及古筆了仲證文(鑑定書)古書簡と古色紙の一括。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。生写真 中国軍人 新四軍 八路軍 検索:支那兵 中華民国 共産軍 蒋介石 関東軍閥 国民党 日中戦争 革命党 満洲 総督府 張学良 古建築 北伐軍。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。破提宇子 (はでうす) 木活字本 ハビアン著 迂菴老人跋。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。誠忠 義士銘々畫傳 初編五巻 駿東/柳亭種彦著。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。時局資料 小型パラピンポスター。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。稲田吾山画『吾山画譜』(全3冊揃)昭和8年 水月庵蔵板(鎌倉)彩色木版画譜 山形県米沢市生 東京美術学校卒 寺崎広業に師事した日本画家。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。1946年 初版本 温泉宿 川端康成 文芸評論家 ノーブル文学賞 新感覚派 雪国 芥川賞 直木賞 文学士 抒情歌 千羽鶴 古都 山の音 ちよ 浅草紅団。また、各巻ごとの書かれた年については不明。印補正 尾張/鶴笑江上無篆鐫并鑄 江戸後期寫。従って、応永五年とは、書き始めの年である。@1937年 朝鮮総督府鉄道局 交通図 検索: 軍閥 李朝 李王朝 古建築 生写真 日朝併合 満州 軍事地図 台湾 妓生美人 京城 司令部 関東軍 平壌。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。西村茂樹編 西阪成一解 白石千別閲 南摩綱紀序『新撰百人一首』明治16年 中外堂刊 明治時代和本 彩色木版画譜「小倉百人一首」改訂版。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。十日間世界一周 石井研堂 小林清親画。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。東亜現勢大地図 附ヨーロッパ洲・世界現勢図。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。諸病秘書 写本 医学 蘭学 オランダ 古書和本古本和本 江戸期 NC。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。日本刑法治罪法講鮮大全 明治16年 法律法学 六法全書 戦前 明治大正 古書和書古本 P。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。f24050715〇扶氏經驗遺訓 緒方洪庵譯本 2冊 第1巻~第3巻 第24巻第25巻 安政四年 ベルリン大学教授フーフェランドの内科書 医学必携。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。坤輿図識 補共。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。●美術書●『古今和漢 萬寶全書』全13冊揃 明和7年刊 書画 唐絵伝 茶道具 古銭 日本刀●古書 和本 江戸時代。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。1905年 紋様書 明治38年 奈類美加多 検索⇒図案 香盒 設計 木版摺 支那 文様 古玉 武器 兵器 軍服 古建築 彫文 小田切春江 浮世絵 絵本。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。【除籍本/上下巻セット】地方巡察使復命書 明治十五年・十六年 三一書房 【ac01g】。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。唐李懐琳 草書 絶交書 検索:柯羅版 玻璃版 原色 支那 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 漢籍善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石 篆刻 唐本 拓本。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。江戸時代の和本「真田三代実記」全50冊150巻、写本、箱あり傷みあり、真田幸村の軍記物、2篇1‐3巻可読だが大きな染みあり。。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。@国宝 文物 骨董 原色版 写真集 検索: 支那 青銅器 漆器 瓷器 明代 青花瓷 元青花 唐三彩 白鶴美術館 官窯 民窯 宋瓷 影青瓷 白瓷 図録。
出品した「源氏物語」は真木柱(まきばしら)の内容の要旨
「真木柱の巻」は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。朝山意林庵作『清水物語』(上下巻・合本一冊)元禄2年永田長兵衛開版 仮名草子 江戸時代和本 蔵書印「奇石軒蔵書印」。第31帖。李香蘭 山口淑子 私之半生 検索:満洲映画 満鉄 潘淑華 支那之夜 川島芳子 白蘭之歌 夜来香 抗日漢奸 満洲帝国 袁美雲 陳雲裳 王引 中華民国。尚侍(ないしのかみ)として宮廷に出仕を控えていた玉鬘の姫君だったが、その直前に髭黒大将が女房の手引きで強引に結婚することになった。新田御一族船田一右衛門宛書状集 新田義貞 船田義昌。髭黒大将はその後玉鬘の姫君を迎えるために邸の改築に取り掛かる。築山庭造傳 全 6冊 セット 揃い 帙付き 建築書院。だが、その様子を見た北の方(髭黒大将の正室)は絶望し香炉の灰を髭黒大将に浴びせる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 中津 古文書 書状。この事件で完全に北の方に愛想を尽かした髭黒大将は玉鬘の姫君に入り浸り、とうとう業を煮やした北の方の父・式部卿宮は、髭黒大将の留守の間に北の方と子供たちを迎えにやる。松本サイ柯『俳諧多識編』(全二冊揃)文政10年序 青雲堂英文蔵版 谷干城旧蔵書か 江戸時代和本 俳諧書 俳書 俳句。明けて新年、相変わらず塞ぎこんでいる玉鬘の姫君に髭黒大将もようやく出仕を許す気になり、玉鬘の姫君は華々しく参内する。諭摺彙存 奏折 奏章 聖旨 漢文古籍 検索:清朝 光緒 唐本 漢籍 支那 玉扣 善本 線装 木版刷 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 内府紅印。早速訪れた冷泉帝は噂以上の玉鬘の姫君の美しさに魅了されて熱心に想いを訴え、それに慌てた髭黒大将は退出をせきたててそのまま玉鬘の姫君を自邸へ連れ帰ってしまった。豊大万寳古状揃 鱗形屋孫兵衛板。
自筆右下四つの印のうち下2つは、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印、上2つは、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。通俗 明治民権の花 板垣退助君言行略 ボール表紙。
原本自筆上部には、「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。原鈐印譜 検索⇒金石篆刻 印存 書道 封泥 朱印 雅印 遊印 雅号印 石鼓文 篆印 官印私印 原打印 落款印 支那 唐本漢籍 呉昌碩 鄧石如 斉白石。白楽天の有名な漢詩です。加茂郡南戸村地引絵図 戸長千賀氏署名黒印。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。「俳諧名物鑑 : 畫賛 [反故齋果然編] ; 山田清作編輯 米山堂 1930.11-1932.1 稀書複製會, 第7期第1, 12, 15回 雪 , 月 , 華 会報付。「源氏物語」真木柱の巻の原文中には、「おほつかなき月日も重なりぬるを」とあります。禮記草稿 共二册 横山宗良草稿 元治元年季秋。源氏の君が恋する玉鬘の姫君への懐かし想いを記したものです。即決 1689(元禄2)年『天文図解 巻3』運気論、中国星座、星図、太陽月 二十八宿、七十二候、日蝕アンティーク、天文暦学書、江戸期和本。現代語訳では、「お逢いしないうちに月日も重なってしまいました」というものです。文化新撰 狂歌百人一首 六樹園撰 北尾重政画。紫式部が「真木柱」を書くに際し、白楽天の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 古文書 書状。詳細な理由は下記説明欄に記載。0032452 琴曲抄 新組入 表裏 2冊揃 松柴清四郎 元禄7年 箏曲 邦楽。
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。★☆【梅雨交合和開帳】☆★。
「自筆原本」
自筆右下の2つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子・と娘の幾千姫(玉映)の落款。【真作】「劇場訓蒙図絵」3冊揃 式亭三馬(著) 勝川春英(画) 歌川豊国(画) 和本 古書 和綴じ 木版 y2502。
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。@昭和28年 木簡集英 検索:支那 美術 書道 書法 考古 漢文 拓本 竹簡 漢簡 甲骨文 金文 金石 篆刻 鐘鼎文 敦煌 碑刻 法帖 拓本 書簡 玻璃版。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。東照権現十五箇條 キリシタン弾圧史料 慶長18年5月奉行文書。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《あはれのよや」なと》・・・・・うちなけきつゝ、
かた(語)らひてふ(臥)したるに、さうしみ(正身)はいみしう
思ひしつ(静)めて、らうたけによ(寄)りふ(臥)し給へりと
見るほと(程)に、にはかにお(起)きあ(上)かりて、
おほ(大)きなるこ(籠)のした(下)なりつる火と(取)りを
と(取)りよ(寄)せて、との(殿)ゝうし(後)ろによ(寄)りて、
さといかけたま(給)ふほと(程)、人のやゝみあふる
ほと(程)もなうあさましきに、あきれてものし給ふ。和本 明治 浄土真宗 仏教 三部経御延書 古書古文書 真宗 浄土真宗 近八郎右衛門 式嘆徳文延書 真宗勤行書 執持鈔 浄土文類聚鈔 佛前儀式。
さるこま(細)かなるはい(灰)の、め(目)はな(鼻)にも入て、
おほゝれて物もおほ(覚)えす、はら(払)ひすて給へと、
た(立)ちみ(満)ちたれは、御そ(衣)ともぬ(脱)き給つ。華月帖 初刷・極美本 加藤季鷹編 天保七年正月跋刋。
うつし心にてかくし給ふそ、と思はゝ、
またかへりみ(顧)すへくもあらすあ・・・・《さましけれと》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。北堀江大川水屋仲/文政11年/1828年。
《「源氏物語」真木柱(まきばしら)の巻》
《大雪の日・玉鬘の君の邸に行こうとする大将の装束に香をたく北の方(正室)》
《大雪の日・玉鬘の姫君の邸へ向かうために御装束を整える髭黒大将》
《髭黒大将の北の方、大将に背後から香炉の灰をふりかける有名な場面》
《(髭黒大将の供人)「雪が小止みになっております。●文献資料●『井上伯伝』全9冊揃 井上馨 幕末の志士 尊王攘夷運動 明治維新 石版写真版多数 中原邦平 明治40年刊●古書 和本。夜が更(ふ)けてしまいましょう」
などと、さすがにあらわにではないが、お出かけを促し申してそれぞれ咳(せき)ばらいしている。華厳遊心法界紀。
中将(正室の女房)や木工の君(もくのきみ・女房)などは、
(中将・正室の女房)「おいたわしいこと」
などと》・・・・・・嘆息をもらして話し合いながら横になっているが、
当の北の方(髭黒大将の正室)はじっと思いを静めて、いかにもいじらしく
脇息(きようそく)に寄り臥(ふ)していらっしゃる、とみるや、北の方(髭黒大将の正室)は
にわかに起き上がって、大きな伏籠(ふせご)の下にあった香炉を取り寄せて
大将(髭黒大将)の後ろにまわり、さっと灰をお浴びせになる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵保管 毛利 小笠原 古文書 歴史的逸品。
その間のことは人々のよく見届ける暇(いとま)もない一瞬のことなので、
大将(髭黒大将)は驚きのあまり呆然(ぼうぜん)としていらっしゃる。当方、先祖代々受け継がれ曽祖父蔵にて保管 巻物 一張弓 宇相是也 正法山紫賜僧開善前住 古文書 書状。
あの細かな灰が、目にも鼻にも入って、ぼんやりと何も見分けられはしない。送料込み、1789年の江戸時代の和本「慶安太平記」全10巻5冊、写本、慶安事件、由井正雪、幕府転覆計画。。
灰をお払いのけになるけれども、あたりに立ちこめているので、せっかくのお召物を
何枚もお脱ぎ捨てになった。奥田頼杖著 平野橘翁編『心学道の話』(全二十四巻八冊揃)天保14年序 河内屋新七刊 江戸時代和本 石門心学 心学者 心学書。これが正気でこんなことをなさるのだと思うのだったら、
二度と振り向く気にもなれまいくらい、あきれるほかは
ないのだけれども、・・・・・《例によって御もののけが人に愛想づかしをさせようと
するわざなのだと思うと、おそばにお仕えする女房たちもおいたわしく存じあげている。蛙屋鷺岱『四季季寄いろは分 ぬくめ種 全』嘉永2年 菱屋弥兵衛刊 江戸時代和本 俳諧季語集 俳句 俳書。》
備考・髭黒大将の北の方(大将の正室)は、紫の上の異母姉
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。f22092012〇明治布告布達 海兵隊服制 下 砲兵曹長礼服 常服略服 夏服 明治6年〇和本古書古文書。
《The Cypress Pillar(真木柱)》
《Moku and Chujo and the others sighed and lay down》
… and whispered to one another about the pity of it all.
The lady herself, apparently quite composed, was leaning against an armrest. Suddenly she stood up, swept the cover from a large censer, stepped
behind her husband, and poured the contents over his head.
There had been no time to restrain her.
The women were stunned.
The powdery ashes bit into his eyes and nostrils.
Blinded, he tried to brush them away, but found them so clinging
and stubborn that he had to throw off even his underrobes.
If she had not had the excuse of her derangement he would
have marched from her presence and vowed never to return.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《真木柱》
夫人正在思冥想,姿雅地着。大正元年 細川流四季之景図 12図 勝野博園 和本 検索:盆石 家元 武将 茶人 大名 盆山 盆景 盆庭 戦前 図版 残雪 武将 大名 書院 茶会 茶人。
忽然站起身来,将大熏下面的香炉取出,
走到髭黑大将后面,一下子把一炉香灰倒到他上。弓矢と習射/桑村常之助/村尾圭介・若槻礼次郎・鳩山一郎序/昭和7年/廣く文献を聚め不素の薀蓄を傾け之を洗練せる筆によって纏められたもの。
咄嗟之的事,都不曾提防。子孫繁昌記。髭黑大将大吃一,
一呆若木。『英和封譯袖珍辞書』●堀達之助編/秀山社●昭和48年発複製版発行●検)徳川蔵田屋静岡学問所沼津学校英和辞典。的香灰侵入眼睛里和鼻孔里,
弄得他昏,看不清四周情状。(和本)標註十八史略正文 全7冊 渡井量蔵標註 内藤傳右衛門板。他手乱,
想把香灰去,然而身是灰,不,只得把衣服脱下。浜野知三郎編『海保漁村先生年譜 附論語駁異』昭和13年刊 太田錦城に師事した幕末の考証学派の儒学者/漢学者 漢文集。
使神正常,而做此行,
那是无礼之,此人没有再的价了。■送料無料■ 事務日誌 西八代郡 大河内村 役所 明治11~12年 山梨県 現:南巨摩郡 戸長 書役 資料 文献 古書 古文書/くYUら/HH-2147。
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
左の写真が「源氏物語」真木柱の巻の末尾(原本番号40-B)の押印。つれづれ草 上巻(下巻欠) 徒然草 寛文八年刋。
写真左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩主第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。@1939年 支那全土 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 江南風景 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 軍事地図 満州事変 蘇州府。冬姫は内大臣・通誠の養女。千宗茶湯會席 千利休・羽柴秀吉・豊臣秀吉・古田織部。
冬姫は通称。俳諧廿日艸 武陵誹窟/秦川改/廿日坊自序 菊淵舎玉我序 柳塘鐘下跋。正式な名は伊達貞子。林子平述 松浦武四郎編『林氏雑纂』(全2冊揃)明治3年序 甘泉堂・千鐘房刊 明治時代和本 北海道・蝦夷関連資料。
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。1932年 唐拓九成宮醴泉銘 唐本漢籍 検索:支那 柯羅版 玻璃版 原色 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 善本 古墨拓本 碑刻石 瓦当 金石篆刻。
表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。大寳百人一首紅葉錦 袋附 日本橋/金花堂須原屋佐助。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(真木柱の巻)MRI 31―13B
「源氏物語」真木柱の巻の絵の資料
下記写真は、髭黒大将の北の方(正室)が大将の香炉の灰をに浴びせる画面の絵
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。古實活花目録口傳書 天地巻 翫樹齋一芽(花押)。
「年光東流水」(年光東流の水)漢文の篆書印が押捺されている。h∞ 明治期 旧金銀貨幣価格表 18丁 明治7年 和本 古書 /A06。言葉の意味は、「時間の流れは東へと流れる川の水のように止まることなく流れてゆく」です。栄松斎一寿撰 文松斎一僊画『遠州流 挿花四季園』(全4冊揃)文化10年千鐘房 花道 華道 生け花 江戸時代和本 中国古花器多数。白楽天の有名な漢詩です。邪法宗門本朝由来記 南蛮国・バテレン・破天連。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。俳書 蘆陰集 蕉門俳諧 蘆陰舎竺斎(百堂)編。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。【売切り屋】学問ノススメ 六編 福澤諭吉 明治7年 官許出版 学問のすすめ 福沢諭吉 古書和本。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。1940年 生写真 雲南省 昆明 中華民国 旗袍 支那美人 伝統服 漢服 西南聯大 蒋介石 国民政府 軍閥 蔡元培 督軍 龍雲 鉄血共和 本物 当時物。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。清朝 木版水印 花箋 秀文齋 周少白 漢文 古籍 唐本 漢籍 支那 玉扣紙 善本 線装 木刻本 筒子頁 殿本 套印 宣紙 白棉紙 清朝 内府 石涛 徐渭。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。酒造秘書 寫本 奧書/寛永元年甲子六月十五日。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。1938年 支那事変 画報 中華民国 軍閥 旧日本軍 関東軍 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 国民党軍 生写真 古建築 総督府 汪精衛 南京 満洲 蘇州 盧溝橋。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。@満洲名所写真帖 100図 検索: 中華民国 軍閥 蒋介石 古建築 生写真 馮玉祥 支那 国民党 総督府 汪精衛 GHQ 禁書 台湾 朝鮮 妓生 関東軍部。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。1929年 支那 旅行通 検索: 支那 中華民国 軍閥 蒋介石 閻錫山 馮玉祥 孫文 国民党 生写真 古建築 総督府 汪精衛 地図 GHQ 禁書 風景 図版多。撮影後、展示のために再表装をしております。本 「古時計」 塚田泰三郎 本田親蔵 共著 東峰書房 古本 (22_10308_15)。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。初版 中世の関所(畝傍史学叢書) 相田三郎 2.000部限定。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。袁中郎流挿花圖會 前編/巻二~巻六(尾) 東雲齋黄雀・祥雲齋秀英他著。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。磯まくら 冥々 乙人 東北俳壇 俳諧 俳書。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。1935年 孔子廟堂之碑 検索: 柯羅版 玻璃版 原寸 支那 原拓片 北魏碑帖 法帖 法書道 印譜 漢籍 善本 古墨拓 碑刻石 瓦当 金石 篆刻 唐本拓本。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。@1919年 何紹基 石門頌 禮器碑 何子貞 有正書局 唐本漢籍 検:碑帖 本拓本 墨拓 原拓 碑刻 法帖 魏碑 珂羅版 支那 法書道 篆刻 印譜 王羲之。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。木版画図版集「新東京百景」 昭和3-7年作品 平凡社 送料無料。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。☆E0031和本江戸天保3年(1832)大坂の陣写本「厭蝕太平楽記」全35巻16冊揃/真田幸村/古書古文書/手書き。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。支那 美人 鴉片 阿片 15cmX11cm 白黒 検索: 生写真 中華民国 旗袍 大煙館 洋行 憲兵 巡捕 租界 老照片 相片 当時物 日中戦争 満州事変 妓女。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。尊圓親王芳跡。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。蒐集家のコレクション 村上金次郎 軍事郵便 レターパックライト可 0501Q7h。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。董其昌 書道法帖 検索:墓誌銘 支那 印譜 法書金石篆刻 印存 王鐸 呉昌碩 原拓本 張瑞図 董香光 黄庭堅 趙子昴 珂羅版 玻璃版 米元章 王羲之。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。【全17巻】 明治11年「明治新刻 日本政記」 合本4冊 大郷穆 東生亀次郎 和本 木版色摺古地図多数 資料 日本史。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。張瑞図 許友 書道法帖 唐本漢籍 検索:墓誌銘 支那印譜 法書金石篆刻 王鐸 呉昌碩 原拓本 王羲之 董其昌 黄庭堅 趙子昴 珂羅版玻璃版 米元章。母は後水尾天皇皇女女二宮。信濃國伊那郡上新田村宗門人別御改帳他。実母は近衛家女房(瑤林院)。蝦夷休明光記 羽太正養。幼名は多治丸。★0166和本江戸安政4年(1857)序呪い護符「呪咀伝受袋」全1冊/絵入古書古文書/木版摺り。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。甲賀流忍術・戦闘・諜報・捜査・必携/福山松翠/昭和28年/万川集海・軍用秘記其他の忍書や古老の言い伝え等を合せ解剖整理して編集したもの。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。関宿藩領関宿江戸町古文書河川関係●1873年 デレーケ氏柴工水刎 全 26丁 下総国東葛飾郡関宿江戸町 現在の千葉県野田市 221010。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。戦前1935年/看護婦免状/警視庁古文書 検索:本物/当時物/公印/朱印/戦地/赤十字社/ドライスタンプ/鋼印/生写真/免許/戦時許可証/原本。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。曽我物語 全十二巻の内 巻二・巻三・巻四・巻六~巻十二 正保頃刋 献上本。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。浄瑠璃本 義仲勲功記。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
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